私が住んでいます霧島市の名の由来となりました「霧島山」。
一見美しい山々ですが、歴史を辿りますと「暴れ山」と言われるくらい、火山噴火が度々起きました。
新燃岳が2011年1月に189年ぶりに大噴火をしましたことは、皆さんも記憶にあるのではないでしょうか。新燃岳を含めた霧島山は、過去にどのような火山活動を繰り返してきたのでしょうか。
今回は霧島山の噴火の歴史やその成り立ちについて紹介します。
1 霧島山とは
霧島山は、九州南部の鹿児島県と宮崎県境に広がる火山群の総称であり、霧島連山、霧島連峰とも呼ばれています。最高峰の韓国岳(1700m)をはじめとして、高千穂峰など周辺には約20以上の火山が連なってひとつの山を形成しています。
ところで、「霧島」という地名はいつごろから呼ばれるようになったのでしょうか。
歴史書に初めて霧島という名が出てくるのは、『續日本後紀』の承和4年(837)8月の記録です。一方、『續日本紀』の延暦7年(788)7月の記録には「大隅国曽於郡曽之峯」と書かれており、まだ霧島の名が付いてないことがわかります。
霧島という地名は788年から約50年の間に定着したと思われます。
これはあくまでも私見ですが、霧島の名は、高千穂峰が雲(霧)に浮かぶように見え、あたかも霧に浮かぶ島のように見えたことが由来しているかもしれませんね。
2 霧島山の歴史
霧島山の成り立ちは、約34万年前に現在のえびの市を中心とした地域が大噴火を起こして「加久藤カルデラ」を形成したところから始まります。
その後、カルデラの南部で火山活動が始まり、30万年前から次々と火山ができました。主な火山の活動は下記のとおりです。
烏帽子岳 | 約30万年前 |
栗野岳 | 約20~10万年前 |
獅子戸岳 | 約15万年前 |
白鳥山・蝦野岳 | 約10万年前 |
韓国岳 | 約2万2千年前 |
甑岳 | 約1万7千年前 |
新燃岳 | 約1万年前 |
高千穂峰 | 約8千年前 |
御池 | 約4千6百年前 |
※霧島ジオパーク資料参照
3 記録にみられる噴火の歴史
霧島山の噴火の中で最も古い記録は、続日本紀に天平14年(742)の御鉢噴火の様子が書かれており、大隅国の国司(現在の知事のような役職で朝廷から派遣された役人)から11月23日から28日にかけて空から太鼓のような音が響き、雉が驚き地震があったと報告があり、その調査のため使者を遣わした。という内容となっています。
また、延暦7年(788)には 、3月4日の夜8時ごろに霧島山の御鉢が噴火して、溶岩や噴石による火災や地鳴り、地震などがあった。噴火そのものは4時間ほどで治まったが、降灰はひどく、御鉢から約20㌔離れたところで、60㌢もの火山灰が積もった様子が書かれています。
4 新燃岳の噴火
2011年の新燃岳の噴火は、享保元年(1716)から翌年まで続いた火山活動が、火山灰などの成分分析から酷似しているといわれていますが、当時の噴火活動はどのようなものだったのでしょうか?
正徳6年(1716)2月(6月に元号が享保に変わる)、大音響とともに大爆発が始まりました。この噴火活動は軽石の噴出とともに火砕流、泥流が繰り返し発生したことが地層(堆積物)調査によって分かっています。
翌年の享保2年1月、火砕流を伴う大規模な噴火であり、死者1名、負傷者30名、焼死した牛馬420頭の被害があり、神社仏閣や農家など134棟が焼失しました。降灰による農作物は甚大で、周囲の田畑は厚さ10~20㌢の火山灰に覆われ、約850㌔離れた八丈島でも降灰がありました。
このように、霧島山は約30万年の時を経て大小さまざまな火山活動を続けて、現在の霧島山まで成長してきました。
私たちの祖先は自然の驚異に晒されながら、しかも降灰などによって甚大な被害を覆った田畑を懸命に整備し、霧島山の麓で生き抜いてきました。
一方、火山活動は、温泉などの自然の恵みを齎していますし、登山やハイキング、キャンプなど自然を満喫できる環境も提供してくれます。
先日、南九州の梅雨入りが発表されましたが、梅雨の合間や梅雨明けには是非、霧島周辺の温泉や霧島山に遊びに来ていただけたらと思います。
※写真:霧島市提供 文責:鈴木
投稿者プロフィール
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霧島市に在住しています。
読書とボウリングが趣味です。
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