2 陣ヶ岡(曽於市財部町南俣)
霧島市福山町佳例川と曽於市財部町南俣の市境(国道10号)から右折し県道塚脇財部線を進んで行きますと、左手に「陣ヶ岡」の案内板が見えてきます。陣ヶ岡は、標高430mで四方が見渡せ、現在は公園となっています。
陣ヶ岡の名称については、江戸時代からの名称ははっきりしませんが、西南戦争の時に薩摩軍が陣を築いたのが由来とされています。
西南戦争における福山佳例川の戦いは次のとおりです。
明治10年7月、熊本の田原坂方面での戦に敗れた薩摩軍本隊は、この時期、都城に駐屯していました。政府軍は都城を攻めるべく海軍第4旅団が福山港、垂水港から上陸します。
当時の日記には「七月十ニ日ヨリ三日間暴風甚雨、道路出泥滑ニシテ進攻ニ利ナラザル」「七月十五日、雨晴レ道乾ク、下痢病指揮官含メ百十六名」とあり、風雨とぬかるんだ道のため行軍が進まない様子と、百人を超える下痢患者が出たことが書かれています。
薩摩軍は、振武隊・奇兵隊等が大崎の戦いを終え、転進して福山佳例川に到着し、戦いに備えるため7月12日に簡易な堡塁を築きます。14日には2番大隊長村田新八と12番中隊長の鵜木五左衛門らが財部の通山に到着します。
7月15日、午前5時、薩摩軍は隊を2隊に分けて戦端を開きます。その後、援軍が次々と参戦し、薩摩軍の陣容は兵1千・大砲2門となります。薩摩軍は物資が不足して、この戦いから鉄砲弾を鉄玉となりました。この戦いで政府軍は20余名が負傷しました。
一方、政府軍は福山佳例川の荒磯岳・二子塚などの高台より砲弾を断続的に打ちます。この戦いで政府軍は砲弾180発、小銃弾5万発を使用し、薩摩軍側では5人が戦死して30余名の死傷者を出しました。二子塚には現在も政府軍が築いた堡塁跡が僅かに残っており、地元の方の話では、畑を耕作していると鉄砲の弾が時々見つかるそうです。
また、近くにある井之口家旧住居には、薩摩軍が襲撃した時に付けられたとされる「刀傷」が残っています。これは、梅雨末期の大雨や不衛生な食事の影響で、多くの兵士が食中毒を起こしました。池田集落の民家で養生・停泊していた政府軍を薩軍が急襲して出来た傷痕です。
3 高之峯(曽於市末吉町深川)
道の駅「すえよし」を過ぎて、曽於市末吉町深川(国道10号)を宮崎方面へ走りますと、左手に「高之峯公園」を案内する看板が見えてきます。高之峯は、標高336.5mで、財部、末吉、都城盆地が一望に見渡せる風光明媚な場所となっています。現在の高之峯には、高之峯神社と市民の憩い場となっている公園が整備されています。
以前、地元の方から「昔はここに陣屋(砦)があった」と聞いたことがありました。
これは、慶長4年(1599)年に日向国庄内(宮崎県都城市及びその周辺)で起きた島津氏と島津家の重臣であった伊集院氏との争乱「庄内の乱」で、高之峯が砦として使われたのではないかと私は考えてします。
庄内の乱では、伊集院側は都之城を本城とし、その周辺を取り囲むように12の城で守られていました。近くには財部城と末吉城があり、この2城の中間地点にある高之峯は当然として陣(砦)を配したと思われます。さらには、高之峯頂上からは都城盆地が隅々まで一望することができることから、伊集院・島津の両陣営としても戦略的に重要な拠点と考えていたのではないでしょうか。
話は変わりますが、高之峯の頂上から少し下ったところに金峰神社があり、境内には不思議な巨石(2つに割れた)があります。
これは、あくまでも逸話としてですが、高千穂峰を御神体とした巨石信仰があり、高千穂峰周辺に点在する7つの巨岩は不思議なことに北斗七星を模るように配しているそうです。その巨岩は、①皇子原神社(高原町)、②霞神社(高原町)、③東霧島神社(都城市高崎町)、④池之原(山田町)、⑤母智丘神社(都城市横市町)、⑥金峰神社(曽於市財部町)、⑦住吉神社(曽於市末吉町)にあり、この巨岩はそのひとつとされています。
4 3つの陣が丘
今回は2度にわたって「3つの陣が丘」について述べてまいりましたが、それぞれの陣が丘に歴史のターニングポイントになるような戦いがありました。また、日向国と薩摩・大隅国を結ぶ主要街道(日州街道)沿いにあることから、戦略的に重要な場所だったのは間違いないと思われます。
3つの陣が丘は、江戸時代、薩摩藩にとっての仮想の敵は江戸幕府であり、その幕府軍が日向国を通って攻入った時の情報をいち早く鹿児島に知らせるため、さらには、都城島津家と鹿児島本家との情報をやり取りするための役割があり、施設(見張り台)だったのではないでしょうか。手旗信号や狼煙によって情報を繋ぐ、現代でいうと電波の中継基地に該当していたのではないでしょうか。
写真:著者撮影 文責:鈴木
投稿者プロフィール
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霧島市に在住しています。
読書とボウリングが趣味です。
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