各所にある、薩摩街道。区画整理が行われ昔の道筋が失われている部分もあります。今回は、阿久根市にある、薩摩街道の牛ノ浜~大川まで辿ってみました。
~牛ノ浜駅~
九州7県をめぐる「36ぷらす3」も停車する牛ノ浜駅。目の前にある海岸は東シナ海岸を望む「牛ノ浜海岸」鹿児島県の景勝地でもあります。
牛ノ浜の地名の由来・・・梅雨明けから土用波が押し寄せて、海鳴りを続ける浜を「大潮が浜」と呼ぶようになった。これが次第になまり、「うしのはま」となった。と言われてます。また、一方では、岩が牛の群れに見えることから「牛ノ浜」だと。。。どちらが本物かは、まだわからず。
岸壁は、県内で地表に露出しているもっとも古い地表で、今から約6,500万年前から1億年前、中生時代の海底の深海に堆積した「微粒珪質堆積岩」つまり、チャートといわれる硬い岩石です。この海底の地層が隆起し、岩場が荒波に洗われた海岸は、西方の「人形岩」から阿久根市の「戸柱公園」下の海岸まで続いてます。
~頼山陽公園~
牛ノ浜駅をスタートし、3号線を阿久根方面へ行き、次の信号を右折すると、「頼山陽公園」らいさんよう公園、広島藩の漢詩人、書家でもある頼山陽。
自作の漢詩、書を売り旅費にし、日本各地を漫遊しながら、西遊の途次に薩摩路に入り、阿久根の牛ノ浜付近の風景に感動し長期滞在したそうだ。やがて筆を取り出して「阿嵎嶺」あぐね という漢詩を詠んだと言われています。
余談ですが。
私の祖母(98歳)も、「あぐね」って言うな~。。。昔の人は、「あぐね」って言ってたのか?
で、早くもランチタイム!お天気も良いので、ここでランチ!お弁当持参です(笑)
この日のお弁当は、元阿久根市地域おこし協力隊。現在「うみまちテーブル」キッチンカーでお弁当販売やケータリングをされています。今回はお弁当販売情報を入手。さっそく歩く前に腹ごしらえ。阿久根のおいしい食材を使用し、身体に優しいお弁当です。自然の味を活かし、優しい、やわらかい味付けで、お人柄も出てますね。いつも、すぐに売り切れてしまい、なかなか購入できない。今回は運よくゲット!大人気のお弁当です。一度食べてみて~。
アクネ・うまいね・自然だね!の、『うまいね』が、ギューっと詰まってますよ。そして、『自然だね』の中で食べると、美味しさ倍増!
不定期なので、詳しくはInstagramでチェックしてくださいね。
https://www.instagram.com/_kiharaya_/
~大山祇神社~
腹ごしらえも出来たし、お次は、大山祇神社。頼山陽公園を出て右折。そのまま真っすぐ行き、カーブ手前を右折すると、右側にあります。
大山祇神社の総本社は、愛媛県今治市大三島町にあり、山の神、海の神、戦いの神として、歴代の朝廷や武将から崇められてきたそうです。全国にも1万社余りあるそうですよ。この地区にある大山祇神社は、明治43年の神社法の改正により、大川地区の霧島神社に合祀されたそうです。合祀される前は、牟礼小助という人が「昔からこの地に山の神として地区民に親しまれている」ので、買い取ったそうです。地区民は「また、いつかはかえって来られることがあるかも知れない」っと、社殿の土地は残したそうです。それから、60年数年後の昭和47年に、集落の要望により、この地に帰ってきました。
様々な方の想いがつまり、元に戻ってきたっという事は、何かしら神様のお告げがあったよーな、、、っと住民の方は言ってるそうです。
~大川河口にあるテセン石~
大山祇神社から、一旦、3号線に出ます。ここから大川方面へ行きます。
大川の名前の由来。室町時代初期には「大川」の地名が使われてました。大きな迫(谷)をぬって川が流れる様子が地名になったようです。また、大川の地形は、家の前は川、後ろは山に囲まれ生産性の低い土地。経済的には貧しい地域だった為、先人たちはその貧しさから、抜け出すため、生活の糧を求めて頑張った、❝大川魂❞という言葉があります。現在では、ボンタン農家さんが多く、これからの時期は、木々に青いボンタンが実ってます。
そして、ボンタンって、どこから来たと思いますか?
実は。。。ボンタンが阿久根に伝来したのは、江戸時代の頃ころ。難破した中国の商船が倉津港に漂着しました。その船長の❝謝文旦❞(しゃぶんたん)は、地元の人の手厚いおもてなしのお礼に、「朱らん」「白らん」という珍しい果実を贈りました。その種から育った木に、船長の名前を取って、「ボンタン」と名付けたそうです。
すいません、話がそれてしまいましたね。テセン岩、大川川の河口にある、約300万年前の火砕流でできたものです。溶結凝灰岩で海水に洗われ、船の形に浸食されている岩です。一説には漂流した船の化石という人もいるそうです。
なかなか近くでは観れませんが、道の駅阿久根の駐車場の端から観れますよ。
現在は、釣り人が多い場所でもあります。荒波で育った魚達は、それはそれは美味しいに決まってる。
~矢重坂、フドソンの墓~
3号線から、大川小学校へ向かい、小学校プール裏にある矢重坂。当時の雰囲気が色濃く残っている場所。石が多く、歩いて抜けるには。。。藪になってました。残念。矢重坂は難所の一つであったそうです。名前の由来は、この坂近くに住んでいた矢重郎兵衛という人が住んでいた事から、矢重坂となった。また、坂の入口には、「フドソンの墓」がある。藩政時代、郷土役人が上納米の計りを不正していた。そこを通りかかった旅の修行者がこれを見て忠告したところ、逆に斬られてしまった。集落民が、この修行者の供養する為に、墓石を立てたと言われている。当時は、病人が出てもおかゆすら食べられない時代。不平不満を口にすることも出来なかったそう。修行者は、間違いを正そうとしただけなのに、斬られるという結果になってしまった。
悲しいお話で終わってしまいましたね。。。
今回は、薩摩街道、牛ノ浜~大川編で、お送りしました!
次回は・・・さーどこを辿ってみようかな~(^^♪
もっと歴史を勉強しておけばよかった。っと思う今日この頃。歴史って面白いですね。
秋の気配を感じる今日この頃。薩摩街道を歩いて歴史を辿ってみるのも楽しいですよ。今回紹介した薩摩街道、牛ノ浜駅から、矢重坂までは、徒歩片道1時間。歩きに自身がない方は、お車で辿るのも可能です。途中には景色を眺められる場所もあり、お弁当を持って、散策するのもいいですね。また、道の駅阿久根でもお食事可能です。歩いた後の美味しい地魚を食するのもいいですね。
薩摩街道の詳しいマップは下記サイトからダウンロードできます。https://www.pref.kagoshima.jp/am01/chiiki/hokusatsu/chiiki/satsumakaidou.html
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