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沖永良部島から

 
 鹿児島本土から南西に約550キロに浮かぶ小さな島。沖永良部島、私が生まれ育ち現在も生活している島である。人口は12,000人。私が高校卒業時には15,000人いたのだが25年ほどで3,000人も人口が減少している、いわゆる「地方」である。基幹産業は農業でサトウキビやえらぶゆりをはじめとする花卉栽培、馬鈴薯やニンニク、里芋など様々な野菜が栽培されているがその殆どが大量消費で市場を通すために本土(いわゆる)内地に出荷されている。
 人に関しても同様に、私もそうであったように高校卒業と同時に進学や就職で島を離れて都会で花を咲かそうと考えるのが今までの習わしであったような気がする。まさに全てが外に出ていっていた。
 しかし、この頃はちょっと事情が変わってきている。2014年の9月に第二次安倍改造内閣発足後に発表された「地方創生」から約9年、「戦後地方から中央に」集めすぎた人やお金を政府が地方に「戻す」政策を大胆に取り始めたのである。地方創生系の交付金やふるさと納税、地域おこし協力隊がまさにそれだ。
 私は2007年に長女の出産を機に沖永良部島にUターンしてきた。大学を卒業してワーキングホリデーで単身オーストラリアに渡りダイビングのインストラクターとして働いた20代の前半、後半は日本に戻り名古屋で海外旅行専門の旅行会社でホノルルマラソンの添乗ツアーやフィリピンへのダイビングツアーを造成して販売実施していた。しかし、子育ては田舎でしたい。この一心で沖永良部島に帰ることを決心したことは今考えると間違いではなかったし時代の流れに乗り始めていたのだと思う。
 手前味噌ではあるが私はよく働く方だ(笑)。島に帰ってきた時には就職先は決まっていて2日目から出勤した。島の大手の運送会社だ。飛行機関連、フェリー関連、学校図書関連様々な仕事があった。今思えばこの6年間は非常に私にとって大事なものとなった。
 そして2013年の夏、大きな転機を迎えることとなる。当時の沖永良部島観光連盟事務局長募集の広告がそのキッカケだ。当時の言葉で地域のプラットホームの核となる人間の募集。観光人材の募集だった。農業の島での観光人材のこういった募集は皆無だった。若い時のこれまでのキャリアを島のために費やすのは「今しかない」との決断だった。そこからガムシャラに10年間沖永良部島の観光の真ん中で走り出した。35歳の夏であった。
 10年間の出来事とともに沖永良部島の観光を産業を愉快な仲間たちを紹介していけたらと思います。月2回の連載となりますので是非お付き合いください。

一般社団法人おきのえらぶ島観光協会

oldie-village 代表 古村英次郎
oldie-village 公式ウェブサイト

投稿者プロフィール

oldie-village(古村英次郎)
oldie-village(古村英次郎)株式会社 oldie-village 代表取締役
●経歴/実績
・鹿児島県沖永良部島に生まれる
・鹿児島県立沖永良部高校卒業
・中京大学体育学部卒業
・オーストラリア、ケアンズでダイビングのインストラクターとしてGBR(グレートバリアリーフ)の水中ガイドを経て名古屋の海外旅行専門の旅行会社で旅行業に携わる
・長女の出産を機に故郷沖永良部島(おきのえらぶじま)へUターン
・島の交通や運送を司る企業での実務を経る
・島の観光協会の初代事務局長に就任
・島の二つの町(沖永良部島は2町1島・和泊町/知名町からなります)の観光協会の一元化、法人化
・地域のプラットホーム(DMO)の基礎を作る
・地方の脆弱な観光予算の中、会員の皆さまと共に情報の一元化をすべくWEBサイトの立ち上げ、運営
・自主財源を獲得すべく島の特産品の販売を事務局内の店舗で開始、ECサイトも開設し運営を開始
・観光協会の旅行業登録を推進、着地型の体験観光組成に着手
 ※気軽にできる観光体験から島のメイン産業である農業体験の開発、企業研修のコンテンツのコーディネートからガイドまで一貫して行える仕組みを組成
・地方創生やコロナ対策の交付金を行政と連携し活用、事業を構築・実施
・DMO組織構築事業やブルーツーリズム・グリーンツーリズムの構築・運営、拠点整備事業の起案やその後の指定管理業務の実施【令和元年度版地方創生関係交付金の活用事例】に掲載
・国土交通省観光庁広域周遊観光促進のための専門家登録(2021.10)
・鹿児島県知事登録旅行サービス手配業者第20号登録(2022.03)
・株式会社 oldie-villge 設立( 2022.07.01 )