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国宝「霧島神宮」

はじめまして。

私は霧島市に在住しています、鈴木と申します。

今回、縁があってカゴシマガジンに霧島の歴史やレアな観光スポットを紹介することとなりました。よろしくお願いします。

まず、第1回目は、この度、国宝となった「霧島神宮」について紹介します。

霧島神宮本殿・(へい)殿(でん)拝殿(はいでん)は、社殿の造りや豪華(ごうか)絢爛(けんらん)な装飾類が高く評価されて、令和4年2月9日に国宝に指定されました。鹿児島県では鹿児島市にある照国神社が所蔵する太刀に続く2例目で、建造物としては初めての国宝となります。

社伝によりますと、霧島神宮は6世紀頃に(けい)(いん)という僧が高千穂峰と御鉢(おはち)との中間の「背門(せと)()」(現在は鳥居のみが残っています)という場所に社殿を造営したのが初めとされています。その後、火山噴火や火災によって社殿は度々焼失し、高千穂河原(古宮跡)、そして現在の場所へと場所も移っていきました。

国宝となった現在の社殿は、約300年前の正徳(しょうとく)5年(1715)に、島津氏第21代当主島津(しまづ)(よし)(たか)の寄進によって建てられました。

霧島山から噴出した溶岩が当地域まで流れてきており、その溶岩流でできた傾斜を巧みに利用して、本殿・幣殿・拝殿・(のぼり)廊下(ろうか)勅使(ちょくし)殿(でん)を一直線に配しています。正面の参道からの景色は、見る場所によってその表情がみごとに移り変わる壮麗な美しさをつくり出しています。さらには、社殿の壁画や彫刻、彩色は、華やかな空間を(かも)し出しています。

社殿の一番奥にある本殿は、建物の規模も大きく、屋根の形は日本においては古代から格式が高いとされてきた入母屋造(いりもやづくり)、建物の組物や各所に用いられている彫刻はダイナミックで鮮やかな色彩で描かれています。特に、本殿壁面の上部には、古代中国において後世の模範となるような孝行をした人々の話である「二十四孝(にじゅうしこう)」の絵が色鮮やかに本殿を囲むように描かれています。

霧島神宮の社殿装飾の最大の特徴は、本殿正面にある二本の柱に巻きつくように彫った「龍柱(りゅうばしら)」です。この龍柱は阿吽(あうん)の二頭の龍が向き合うように配しています。彫り物の大きさや構図、豊かな色彩が一体となった迫力は、神宮本殿を荘厳な(おもむ)きにしています。

このような雲を伴う龍柱は南九州独特のもので、霧島神宮周辺の霧島(きりしま)(ひがし)神社(1848)、東霧島(つまきりしま)神社(1849)、鹿児島神宮(1756)、蒲生八幡神社(1784)などにもありますが、これらの社殿の造営年代は霧島神宮より新しいことから、霧島神宮本殿の龍柱様式が周辺の神社建築に深く影響を与えたと考えられます。

このように、霧島神宮は他の神社には見られない彫刻や、「二十四孝」を含めた壁画など江戸時代中期の装飾様式、さらには、龍柱を象徴するような東アジアの影響を受けた造りとなっており、霧島神宮は極めて貴重な社殿となっています。

もうすぐゴールデンウィークとなりますが、新緑の中にたたずむ壮麗な霧島神宮を訪れたらいかがでしょうか。

霧島神宮社殿(参道から)
本殿前にある龍柱

※写真提供:霧島市教育委員会

文責 鈴木

投稿者プロフィール

suzuki
霧島市に在住しています。
読書とボウリングが趣味です。