今回は加計呂麻島の西側(旧実久村)をぶらり散歩してきました。
加計呂麻島は、1956年の「昭和の大合併」までは、島の東側に「鎮西村」、西側に「実久村」という2つの村が存在したほど、実は意外と大きい島なのです。
今回は西側、旧実久村の薩川校区方面へ行ってまいりました。
町営定期船フェリーかけろまを下船すると、加計呂麻の中心地「瀬相港」へ到着しますので、そのまま西の方角へ進んで行くと武名(たけな)という静かな集落があります。ここの木造の桟橋が、最近人気スポットになりつつあります!
波静かな薩川湾に、真っすぐ突き出た「木造の桟橋」という構造がそもそも魅力的でもありますが、桟橋の先端で写真を撮ると全方位が海に囲まれた綺麗な写真が撮れるそうです。
この武名(たけな)集落では、奄美でも最大級のガジュマルの巨木を見ることもでき、何とも言えない静けさの中で、神秘的な時間を過ごせるのではないかと思います。
そのまま、更に進んで行くと薩川(さつかわ)という集落があり、薩川小学校という綺麗な小学校があります。
私が小学生の頃(昭和の終わりから平成のはじめ頃)は、旧実久村に4つの小学校がありましたが、当時も極小規模校だったため、年に何度か4つの小学校が集まって授業する「4校集合学習」という少し特殊な授業がありました。
集合学習の開催場所は、4校が持ち回りとなってましたので、ここ薩川小学校で開催されるのが楽しみで大好きでした。懐かしいです。
小学生の頃は意味も分からず遊び場でしたが、戦前、天皇と皇后の写真と教育勅語を納めていたといわれる「奉安殿」が残されています。
現在は老朽化が進み、「立ち入り禁止」となってますが、旧実久村の他の小学校も、その後に休校・廃校となった学校もありますが、「奉安殿」は現在も残されてます。
周囲16㎞といわれる薩川湾沿いに車を走らせると瀬武(せだけ)集落があります。
瀬武(せだけ)集落は、かつて実久村の村役場所在地だっただけあり、集落内にある郵便局も「実久郵便局」という名称になっています。その瀬武集落に共同墓地(共同納骨堂)があります。
旧暦の1日と15日には墓参りを行う風習が奄美大島にはありますが、人口減少や少子高齢化に伴い、無縁仏の増加や、個人による親族の墓の管理等の負担が課題となる中、加計呂麻島で先進的な取組みだと思います。
さて、今回は加計呂麻島の旧実久村をぶらりと散歩してきました。
加計呂麻島は今日もゆっくりと静かな時間が流れています。
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