下豊留です。
今回は川内川に関係する史跡をご紹介します。
まず、長崎堤防!
江戸時代はじめにできた高江(薩摩川内市高江)の堤防です。
大雨が降る度に堤防が壊れるところであり、人々の生活を守るために、小野仙右衛門がリーダーとなって堤防建設を行います。
難工事でなかなか完成することができず、犠牲者もでて費用もかさみましたが、懸命に取り組み8年かけて完成させました。
堤防は、水の力を分散させるために、のこぎりの形をしているところが特徴です。
長崎堤防には悲しい言い伝えがあります。
小野仙右衛門の娘の袈裟が自ら川に飛び込み人柱になったといわれています。
それほど大変な工事だったのでしょう。
長崎堤防のそばに、小野仙右衛門を祀った小野神社があります。
何としても堤防工事を完成させるという気持ちを込めて仙右衛門が「心」の文字を刻んだ岩がありますのでこちらもご覧ください。
さて、明治時代のはじめ、川内川に橋を架けることになりました。
太平橋です。
阿蘇鉄矢という平佐出身の大工が中心となりつくります。
阿蘇鉄矢は、甲突川五石橋をつくった肥後の石工・岩永三五郎のもとで働いていた経験があり、非常に腕の良い大工でした。
寺山いこいの広場には、阿蘇哲矢の頌徳碑があります。
ちなみに、薩摩川内には岩永三五郎がつくった橋が残っています。
江之口橋です。
綺麗なアーチ橋で、惚れ惚れします。
残念ながら、阿蘇鉄矢がつくった初代太平橋は、架橋後すぐに起きた西南戦争でなくなりました。
泰平橋のふもとには「初代太平橋架橋碑」があります。
架橋碑の反対側には山本実彦の銅像が立っています。
山本実彦は、川内川の治水に力を入れた衆議院議員です。
改造社という出版会社を設立して、総合雑誌『改造』をつくった人物で有名です。
銅像横には、木曾三川の治水工事の縁で岐阜から贈られた松が植えてあります。
松の成長を見守りたいと思います!
投稿者プロフィール
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オフィスいろは
下豊留佳奈(しもとよどめ かな)
鹿児島生まれの鹿児島育ち。
地元が元気になればと思いあれこれ活動しています。
共著に『鹿児島偉人カルタ55』(燦燦舎)
2021かごしまの新特産品コンクールで鹿児島県観光連盟会長賞を受賞しました。
第一工科大学と鹿児島第一医療リハビリ専門学校の非常勤講師
鹿児島県立図書館協議会委員
昔話と歩くことが好きです。
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