1 豊臣秀吉による国替え
天正15年(1587)月、九州全土の平定を目前とした島津軍は、秀吉軍の圧倒的多数の攻勢のため、日向の高城で降伏しました。降伏は最初に豊臣秀長に申し出をしました。秀長と島津義久とは旧知の仲で、しかも義久・義弘兄弟を高く評価していた秀長は、秀吉との仲介を快く引き受けました。
島津義久は今後、野心を持たず世俗から離れるとこを現わすため、剃髪し出家姿となり、豊臣秀吉と薩摩川内の泰平寺にて会見し、正式に降伏しました。
秀吉は当初、領地の割譲を画策していましたが、秀長の執り成しや主戦派であった島津義弘・歳久らが徹底した抗戦の構えていたことを考慮して、主戦派の武装解除を条件に薩摩国・大隅国・日向国(諸県郡)の領土の安堵を許しました。


ただし、秀吉も無条件とはせず、義久と義弘の領地を国替えする命を下しました。これは、これまで島津家の本拠地があった鹿児島を中心とした薩摩半島(薩摩国)を義久が治めていましたが、この地を義弘に。義弘が治めていた大隅半島(大隅国)を新たに義久に治めるようにしました。
国替えは、慣れ親しんだ領国を離れさせることで、支配力の低下や兄弟争いの種を撒くことが目的だったように思われます。事実、この頃から義久・義弘兄弟の仲は致命的にはなりませんでしたがギクシャクしていきます。
2 富隈城の築城
領土を安堵され、国替えを行った島津義久は、西国分(現隼人)の富隈に城を造り始めました。この地に築城を決めたのは、以下の理由が挙げられます。
➀ 大隅国ではあるが、国分は南九州の要の地である |
② 富隈の周辺は全て秀吉、石田三成の知行地であった 秀吉:加治木、溝辺 三成:国分平野東側のほとんど |
③ 豊臣秀吉に敵対する意思の無いことを示した |
④ 浜之市港に近い(海岸に近い) 危険が訪れたら、海への脱出が可能 |
➄ 河岸段丘上の微高地にあり風水害の影響が少ない |
⑥ 国分平野で唯一小高い山があり、見晴らしが良い 風光明媚であるとともに見張りが可能 |
⑦ 修復して移り住んだ(以前の施設を利用した) |
⑧ 一説では易(占い・風水)によって定めた |
富隈城の立地は、目の前に海岸線があり、周囲を見渡せる天然の築山があることから、城造に経費をかけることなく短期間で築城できたと思われます。記録『三国名勝絵図』では「龍伯は富隈を修復して移り住んだ」と書かれていることから、以前にあった施設を義久が居住するのにふさわしい城に改築したと思われます。

石材はおそらく、眼前にある三島(地元では神造島とも呼ばれています」から船で運び寄せ、城周辺の壕を掘った土砂を城の基壇に使うなど、短期間に築城したと思われます。また、平野真っ只中の築城は、豊臣秀吉に従順した姿勢を示せるし、いざとなったら船で脱出する手立ても考えていました。
さらには、近くの浜之市の港を使って、琉球、奄美との交易を考えるなど、一見平城で無防備な城構えと思われますが、島津義久は国内でも第一級武将、深い読みと冷静な思考のもとで築城を考えていたのだと思われます。
3 富隈城のつくり
富隈城のつくりは、小高い山を利用した平城で、城の周囲には高くても5m程の石垣と周囲には空堀を巡らす簡易なつくりとなっていました。これは、前に述べたとおり豊臣政権に配慮した城の構成と思われます。


戦乱期の城郭だったことから、戦略上機密性が高い施設であることから、詳しい図面はありませんが、江戸時代後期の『服部日記』に書かれている図面では、小高い稲荷山は眺望台(見張り台)として利用して、城郭の東北(鬼門方向)には稲荷神社が配置され、稲荷山の南側(現在電波塔がある敷地)には平屋造りの居住区を設けており、隠居城として簡素な造りとなっています。

ちなみに、城内にある稲荷神社は、城の全体からすると東北部(鬼門筋)にあることから富隈城を鎮護する社であり、島津家初代島津忠久の誕生に纏わる(島津義久と霧島 その1に記載)伝承もあり稲荷信仰を氏神にしていることから稲荷神社が鎮座しています。
富隈城跡の山頂(稲荷山)から周辺を見渡しますと、北側は広々とした国分平野に緩やかに流れる天降川、遥か彼方には霧島連山が見えます。一方、南側は錦江湾が広がり、やや西側には三島(神造島)が南正面には雄大な桜島が見える、風光明媚な場所でもあります。
また、当時は現在の国道10号付近が海岸であったため、白い砂浜と遠浅の海が広がり、波の音と潮の香が漂っていたことから、今以上に見晴らしの良い景色が広がっていたと思われます。
現在は公園となっており、稲荷山にも登れますので、是非遊びに来ていただけたらと思います。文責:鈴木
※図面:『島津義久と国分隼人』『歴史群像シリーズ島津戦記』より抜粋
※写真:霧島市
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読書とボウリングが趣味です。
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